皆さんご存知の通り、2019年4月30日で平成が終わり、5月1日からは令和の時代となります。
これは1868年(明治元年)に定められた、天皇一代につき一元号とする「一世一元の制」によるものです。
1979年に定められた元号法では「元号は皇位の継承があった場合に限り改める」とされました。
つまり、今後もこの元号法が改正されない限り、皇位の継承無しでの元号の変更はあり得ないことになります。
ではこの「一世一元の制」が定められる前の元号はどのようにして決まっていたのでしょうか?
また、今回のように天皇が「生前退位」をすることはあったのでしょうか?
天皇の生前退位は何年ぶり?
結論から申し上げますと、最後に生前退位をした天皇は光格天皇です。
光格天皇は江戸時代の第119代天皇で、1780年から1817年まで在位していました。1817年に子の仁孝天皇に譲位し、光格天皇は上皇となりました。
この譲位からは譲位した天皇はおらず、今回の生前退位は約202年ぶりの出来事となります。
つまり、約2世紀の間、天皇は終身制だったのです。
ちなみに、光格天皇から現在に至るまで全て直系の男系男子で皇位が継承されています。
また、かつては生前退位は非常に一般的なものでした。
明治より前の元号はどう決めていた?
「一世一元の制」が定められる前は元号は天皇の交代時だけでなく、災害や戦乱などでも変更されていました。
また、天皇の交代があったとしても必ずしも元号を変更していたわけではありません。
そもそも改元の理由が不明なことも多いです。
日本の歴史上元号が初めて使われたのは645年に始まる「大化」であり、一時的に元号が存在しなかった時代もあるものの、現在の「令和」に至るまで248もの元号が使われてきました。
ちなみに今までで一番長く使われた元号は昭和です。次いで明治、応永、平成となります。
日本では数多くの元号が使われてきましたが、平成も歴史上かなり長い元号だったというのは意外かもしれません。
まとめ
天皇の生前退位は江戸時代の光格天皇以来約202年ぶりの出来事でした。
今回の生前退位は「一代限りの特例」とされています。
とはいえ前例が出来たことで、今後も一般的になる可能性は高いです。
天皇の崩御による改元では今回のような祝福ムードにはならず、昭和天皇が崩御したときのような自粛ムードとなってしまうでしょう。
国民のためにも「生前退位」という形を取られたのだと思います。
平成はいろいろありましたが、令和もいい時代になるといいと思います。