『PIECES OF A DREAM』『My Gift to You』などのヒット曲で知られるCHEMISTRY。
その歌唱力の高さから人気でしたが、2012年にソロ活動を優先するためCHEMISTRYとしての活動を休止。
しかし2017年に活動を再開し、再び流行の兆しを見せています。
そのCHEMISTRYのメンバーである堂珍嘉邦(どうちん よしくに)さんが2019年元日に離婚を発表したことで話題になっています。
なぜ堂珍嘉邦さんは嫁と離婚したのでしょうか?
今回はCHEMISTRY堂珍嘉邦さんの離婚についてです。
CHEMISTRY堂珍嘉邦の元嫁はどんな人?
この記事をご覧になっている方の中にはそもそも堂珍さんが結婚していたことを知らない人もいるかもしれません。
堂珍さんはCHEMISTRYとしての人気全盛期だった2004年6月にモデルでタレントの森田あつ子さんと結婚しました。同年12月には第1子も誕生しています。
森田あつ子さんは堂珍さんと同じ1978年生まれ。ファッションモデルなだけあって身長も168cmと女性にしては長身です。
ちなみに彼女は結婚後「堂珍敦子」に改名して活動をしていました。
芸能界では結婚しても活動する名前は変えない人が多い中、改名するくらい仲がよかったのでしょうか。ちなみに離婚後は「敦子」として活動しています。
外部リンク→敦子 (モデル) – Wikipedia
森田あつ子さんとCHEMISTRY堂珍嘉邦さんが離婚した理由は何なのでしょうか?
CHEMISTRY堂珍嘉邦が嫁と離婚した理由は?
離婚した理由の前に結婚した理由についてですが、実は二人はいわゆる「できちゃった婚」(授かり婚)です。それは2004年6月に結婚、同年12月に出産ということからもわかると思います。
しかし、2014年頃から別居が噂されるようになりました。
そして2018年末に離婚を決断するのですが、離婚の一番の理由としてはモデルとして活動したい敦子さんと子育てに専念してほしい堂珍さんとの考えの違いといわれています。しかし本当の理由は明かされておらず、「お互いの将来を考え別々の道を選択する」という曖昧な発表のみでした。
まとめ
CHEMISTRY堂珍さんと嫁の敦子さんの離婚の理由は子育てや仕事に対する意見の相違といわれています。
敦子さんは5人の子供を支えるシングルマザーとして活動する意向だそうです。
仕事をしながら5人の子供を育てていくのは大変だと思いますが、頑張ってほしいです。
もちろんCHEMISTRYとしての活動を再開した堂珍嘉邦さんも全盛期のような活躍を期待しています。
関連記事→CHEMISTRY川畑要のタトゥーが凄い?サングラスのかけ方が独特と話題に!